霜月。
「150年ぶりの一般公開」。
この言葉だけでなにやらすごいのではないかと思い、今月上旬、紅葉見物がてら羽黒山の国宝五重塔に行ってきました。
なんせ生きているうちに拝観できる最初で最後のチャンスかも知れませんし。
山形県の中央に連なる出羽三山。
月山、羽黒山、湯殿山は古くから山岳修験の場として、全国にその名を知られています。
江戸時代には関東などから白装束をまとった信者が列をなし、山頂を目指す様子は一本の白い糸のようだったといわれています。
五重塔で東北唯一の国宝は羽黒山中に樹齢350年から600年の杉並木とともに静かにたたずんでいます。
高さは29.4㍍。
三間五層の素木造りで、屋根は杮葺き。
建立された時期は明確でなく、慶長13年(1608年)に山形城主最上義光によって大修復が行われましたが、その時の棟札に「承平年中(931年~938年)平将門」と書いてあったといいます。
ただ現在の五重塔は建築様式を見る限り約600年前の室町時代のものではないかということです。
この五重塔は明治初年の神仏分離令が発せられて以降、「秘中の秘」とされ内部が人々の目に触れることはありませんでした。
ことし出羽三山神社(月山、羽黒山、湯殿山の各神社)の三神合祭殿再建200年を記念し4月末から今月4日まで一般公開されたのです。
参道入り口近くの駐車場に入ってびっくり。
50台以上停まっている車のナンバーが大阪、名古屋、富山、品川、仙台など県外、しかも遠隔地のものがやたら目立ちます。
なんと「山形ナンバー」はわが家の1台だけ。
一般公開への関心の高さは全国区だったのですね。
地元にいながら気付いたのは10月下旬でした。
「う~ん、灯台下暗し」。
五重塔前の臨時受付で入場料を払ったら山伏がお祓いをしてくれました。
1階から5階まで階段を昇って行くことができるのかと思ったら、全く違っていました。
入れるのは1階だけで、2階以上は吹き抜け状態になっているのです。
大修復でどの程度部材を差し替えたか分かりませんが、内部は600年の時を刻んだとは感じられないほど痛みが少ないのです。
それは塔の脇に設けられた仮設のスペースに寝転がって2階の窓から半身を中に入れ、上をのぞいた時も同じでした。
八角形の芯柱はちょうな削りの跡が生々しく、数年前に加工したといわれても信じてしまうほどの肌をしております。
案内の女性によれば、塔の内部は風通しが良く、しかも光がほとんど差し込まないので木材の劣化が極めて少ないのだとか。
また木材と木材の結束材は藤つるを使っておりますが、乾けば乾くほど締まるということです。
それだけきつく縛ることになります。
奈良や京都の寺社仏閣でもそうですが、随所に光る先人の知恵と工夫には本当に頭が下がります。
再び扉を閉ざした五重塔。
今ごろ周囲は白い世界に覆われていることでしょう。
いよいよ師走。
辻蕎麦の工房では年越し蕎麦づくりに追われる日々が続きます。
新たな年に向かい期待と希望を込めてお召し上がりになるお客様のご要望におこたえすべく
精魂込めて打ち上げます。