アメリカ奮闘記『二ユーヨークからこんにちは 2』

「ドキ、ドキ・ドキ・・・・」ここはニューヨークカーネギーホール最前列より3 列目のとある席… 。私は今その様な所でクラシックの交響楽団のコンサートを聞けるというラッキーな立場に居た。旅と人との出会いは本当に不思議なもの… 。今回はニューヨークでの素晴らしい人達との出会いを書いてみたいと思う。この世界に名だたるカーネギーホールでのコンサートをセッティングしていただいた大城夫妻は伊藤久美さんの高校時代の同級生であった。


御主人は工学博士であったが二十年ぐらい前に渡米し二人の女のお子様を育てられた。その姉の方がこの交響楽団の第一バイオリ二ストであった。舞台を降りると、べらんめ~調のシカゴ系英語の達人(? )でもあった。平たく言えば姉娘の出演するクラシックコンサートを家族で聞きに行く機会にごいっしょさせていただいた、という感じなのかもしれないが、場所が場所で有る。古代オペラ劇場的つくりのその中は荘厳な雰囲気にあふれ歴史ある一流の建築物がかもしだす不思議な浮遊感があった。


ニューヨークについてから、かなりのハード・スケジュールの日々だったせいか、気のゆるみか、飛びっきりの子守唄になってしまうのには、まいったし、失礼したと今も後悔おびただしいかきりである。


このコンサートには妹もニュージャージー州からかけつけていた。(この、実はものすごい妹さんの事は後で書こうと思う。)観衆の力いっぱいのアンコールに応え終え、コンサートは大成功の内に終了。我々一同は、会場からいくらも離れぬレストラン・ラウンジで会食することになった。またまた驚くその内装と雰囲気だ。大城御夫妻は私達に何度も言って下さった。「今までの作品創作に対するご褒美・ただのご褒美よ。好きなものを何でも… たくさん召し上がってね。」って言っていた。


恐縮した私の顔を見ては3日間かけても食べ切れぬ程どんどん自発的にオーダー発注して下さる大城さんであった。今日死んでも幸せな私。(昼食の中華料理店でも同じ様であったのだ。)「お金はね、ここぞと思う時に大いに使いなさい。私は娘達の為には湯水の様に使った時期が有るの。チャンスは後で無いかも知れないのよ。その時が大事。」


そして御主人「この娘二人は、この国で生きてゆかなければならないのだ。」この言葉にアメリカで日本人が堂々と生きて行くことができるエッセンスがつまっていると思った。実力だ!どんな分野でも… 。私の心に強く大きく残っている言葉である。この妹さんは何と、微生物学者である。それも博士の上のレべルを取得していて学会関係の専門書にも論文をよく発表しその研究は、高い評価を得ているとの事。おもしろいのは、少し課外的になるが、この妹さん編み物が得意で(コンサートの時も手を休めることなく編んでいた。)なんとかという金属の分子構造の拡大写真を見て「美しい」と思い、それを編み物の模様に取り込んだのだ。それが編み物コンクールでグランプリを取り異業種方面からのへッド・ハンテイング的オファーがすごいと言うすごい話である。大城さん御夫妻と姉妹との会食はおいしさと会話の内容のおもしろさで夜のふけるのも忘れた一夜であった。また会いましよう。


酒田販売士協会会報 新春号 2002年2月15日発行より

アメリカ奮闘記『 ニューヨークからこんにちは 1』

『 ウアーー ウエストサイドストーリーと同じ風景だあ』 時間の飛行も終わりを告げようとしているその時、私が一番初めに感じた事は何とこんな事だったのだ。マンハッタン上空から映し出されたウ工ストサイドストーリーの始まりのシーン、その印象的な音楽とともに3年前に見たこの映画は私をとりこにした。その風景が目の前に広がる。

やってきたぞ ニューヨーク、こんにちはニューヨーク。それにしてもなんて素敵なインデイアンサマー。予約していたパークサイドゲストハウスに到着。ここはアパートメントで自炊システム、8日間で3500円、安いぞ。オーナーのトミーさんが大きな手と、飛び切りの笑顔で迎えてくれる。安堵感と疲れでまずは一休み。私が今回ニューヨークに来れたのは、伊藤久美さんとの出会いにほかならなかった。久美さんは、今年の四月にギャラリーサライで『 わらべ絵展』 を開催。そのときに劇的な出会いをしたのだった。
意気投合という言葉はこのことか。その後さまざまな交流の中から『 10月にニューヨークで個展をやるんだ、あなたも絶対世界に出るべき、来なさい』 鶴の一声。GO !『 紹介したい人や見せたい画廊がたくさんあるから・・』 久美さんの個展は10月15日から2週間の予定だった。次の日からは会場通い。(チ工ルシー)ウ工スト・ストリートにあるこのセーラムギャラリーはかなり広いスペースを持ち、三つに分けても使用できる造りになっていた。このときは2人同時の個展で、一人はニューヨーク在住のアーティストで、もう一人は九州の女性であった。オーナーのニコルス夫妻を含め四人で会場のディスプレー開始。私も何度も経験があるけれど、自分の個展会場作りは本当に悩むもの。
どこに何をどのように置いたらお客さんに見やすく興味をひくか、そして作品が見栄えがするか、とても繊細な感覚、センスが要求される仕事だ。皆であーだ こーだ言いながら作業は進められていった。どんな人たちが見にきてくださるのか。作品もどことなく武者震いしているように見えた。『 さあ章子さん、自分の紹介に行ってきなさい。』 久美さんに背中を押され、ニコルス夫妻の前へ。『 ナイストウーミートウユウ、マイネームイズアキコスズキ、アイムジャパ二ーズレザーアーティスト』 初めて作ったプ口フィール、作品力タ□ グをおすおす手渡す。『 Oh ビューティフル、グレイトー』 私、心臓バクバクーがんばれ笑顔だあー。久美さんも加わり四人で楽しく談笑。『 あなたも個展やりなさいよ。オプジェ的作品が良いと思うわよ』 と二コルス夫妻。『 準備期間が必要だからねえ、二年後ぐらいにまずどう?』 楽しい時間が過ぎてゆく。今回のオープニングレセプションが一週聞後にあるということだった。オープ二ングというくらいだから、初日にあると思いきや中日に行われるという。楽しみだなあ。

今回のニューヨーク行きの目的のひとつに、自分の作品の作風を実際に見ていただくというのがあった。私は久美さんに案内され本当に数多くの美術画廊を見て回ることができた。NY では十階建て程のビル全体が画廊という形式がとても多く、それぞれに違った個性を主張していた。新進作家の発掘のためか画廊のオーナー達もお客様として来場し、互いに情報のやり取りが、民江さんの穴場情報この味おすすめ「だだちゃ豆のグラタン」活発に行われていた。またパソコンで世界中の個展状況がダウンロードされていて、それを見つめる目は真剣で厳しかった。それともうひとつ、画廊で働く女性の対応のすばらしさには驚くべきものがあった。習慣の違いもあるがまずはスキンシップ、そして輝く笑顔。質問には丁寧な応答。きびきびとした動きの中にビーナス的な優雅さが感じられた。私も少しドキ・ドキしながらも唯一の武器であるプロフイール、パンフレットを頼りに挨拶、名刺交換を重ねていった。アメリカは文字通りアメリカン・レーザー・クラフトの発祥の地。それとは一味違う私の作風はおおむね好印象を持って見ていただけた感じがするが、それは私のうぬぼれと大いなる勘違いなのか。本当のところはどうだろうか。ウーン。NY でも名の通ったすばらしい画廊をこの目で見て、肌で感じ、いつか必ずそれもあまり遠くない未来、自分の個展を開くんだというファイトが胸の中にフッと沸いてくるのを感じていた。


酒田販売士協会会報 創刊号 2001年1月15日発行より