【対談】 出遭い期

連載6回目は趣向をかえ、『 鈴木章子』 の魅力を広報委員の藤井陽子がリポーターとして紹介します。章子さんの作品からは、あふれんばかりの情熱と神秘が伝わってきます。この会報を通じて販売士のみなさんをはじめ、多<の方の目に触れることを期待して。


【陽子】発行初回から、NewYork、Australia 、Italy など、海外での個展を中心に、軽快なテンポと臨場感いっばいの文章で連載していただいてきましたが、これほどまでに章子さんをとりこにしている、皮革工芸との出逢い・皮革工芸についてお伺いしたいです。


【章子】二十一歳の頃。最愛の祖母が脳梗塞で倒れ、看病のために酒田に戻りました。当時私は東京で住宅設計デザインに携わる仕事をしていましたので、夢半ばで帰酒することになりましたが、祖母に「恩を返すべき時が来たのだ」と、迷いはありませんでした。

私は900gで生まれました。当時は自宅出産で保育器に入るという知恵も無く、祖母は、着物の懐(ふところ)に抱き、肌で暖め育ててくれました。三年もの間帯をといで寝たことが無かったそうです。勿論、母乳を吸う力も無いものですから、首を固定し上手に気管を開けて母親の絞った母乳を綿にしみこませ、一滴づつ落として飲ませてくれたそうです。命の恩人である祖母の看病は8年間続きました。心臓に負担をかけられないため点滴は一本を四時間かけ、一日に二本ゆっくりと落とされました。血管か載かないように祖母の腕を押さえておくのが私の役目になりました。ある日、地下の売店から購入したananだったか、nonnoだったか『女の手仕事』の特集の記事が目に止まりました。

彫金、織物、染色などのプ口として活躍する女性の紹介。パラパラとめくるそこにレザークラフトがありました。記事の最後に豆粒ほどの小さな活字で、もっと詳しくお知りになりたい方は、主婦の友社から出ている『 レザークラフトと革ろうけつ』 の、紹介文を見つけました。点滴中の祖母に「おばあちゃん!ちょっと待ってて!」地下の売店の店員さんに予約発注をお願いして病室へ戻りました。

待ちに待ったその本を開いた瞬間、世界中の雷に打たれたような驚きと衝撃をおぼえました。これが宿命の始まりでした。


【陽子】やはり以前からものを創りあげることに興味があったのでしようか。実家は下駄の製造もしていた鈴木履物店さんですよね。


【章子】物心ついたときから自分の周りには下駄を作る材料や、沢山の木切れ、厚紙とかダンポールなど、エ作の材料となる物がたくさんありました。当時から下駄職人を見ていた私は、それらの素材を使って何かを創り出すことがとても好きであり、興味があったように思います。土曜日の夜などは、明日の自由工作が楽しみでなかなか寝付けなかった思い出があります。欲しい物は?と聞かれると「キリ!(大工道具)」でしたからね(笑)。祖母が創業者で、職人さんを使っていました。

私の作品にはバラを題材にしたものが数多くありますが、ひとつこれも何かの縁であろう出来事をお話しますね。小学校に入学の時、だいたいは誰かがお祝いとしてくださるランドセルを、職人の「たがはっさん(高橋さん)」にいただいたのです。そのランドセルには赤い皮に大輪のバラが型押しされていて。子供ですから皆と同じ物がイイと思ったこともありましたが、なんとなく不思議な感じがしたのを覚えています。まるで『未来を予言されていた』 かのような・・・。

バラにはやはり人一倍の思い入れがあります。具象のバラを皮に彫ることはさまざまな点で困難だからこそ、少しすつでも近付こうと努力できたのでしようか。私の一生の課題であり続けるでしようね。

振りかえればたくさんの偶然や「神様は強く思う人を応援し、導いてくださる」と感じる奇跡的体験もありましたね。皮革工芸の道に入り、試行錯誤の日々が始まりました。道具や素材を購入のために東京に行った時の事です。不意に山手線を降りたくなり、干駄ヶ谷で降りたのですが、そこに、皮革工芸では日本の第一人者であるハ尾緑先生の個展のポスターが張り出されていたのです。「川島ショールーム二階」転がるように会場に向かい、閉館を知らされるまでの六時間、食い入るように一流の作品を鑑賞することが出来ました。それになんという幸運!会場を出ると、個展に顔を出すことすら珍しい先生本人に呼び止められたのです。彼女は私があまりに熱心に見廻っている姿を一時間半も観察していたとか。「明日ここではなく、私の工房にいらっしゃい」というお誘い。私は雲の上にでも昇るような嬉しさを全身で感じていました。
そして私が疑問に思っていた数多くの事にもやさしく答えていただき、又、様タな手法、技法を丁寧に指導していただいた感激を昨日の事のように覚えています。今も心から感謝しております。


【陽子】すごい・・。ドラマティックすぎて・・・まだここには紹介しきれていない三十年聞にわたるさまざまな経験や、人との出逢いなど、たくさんの事が折り重なってできていった作品なのですね。今、目の前の章子さんは十年間使っている私物のショルダーバッグのバラをなでている。なめし皮に彫られた立体的なバラは使い込まれて絢麗なあめ色に光っていた。

【章子】未来の自分は、いったいどんな物を創る人になるのやら・・・。進化し続ける自分でありたいの。今後も既成概念にしばられることなく、やわらかな発想で、この世界を自由に、そして大いに遊んでゆきたいと思っています。


【レポート後記】章子さんの眼差しは印象的で、穏やかでした。「章子さん」この時を共有できる事に感謝しています。楽しく嬉しい時聞を過ごせ、お話をうかがって学ぶ事が沢山ありました。ありがとうございました。(陽子)