荘内日報 日曜閑話 2003年2月23日(日)
くれないの記
渡部 俊三 (山形大名誉教授、論説委員)
 「くれない」は紅の和名で、鮮やかな濃い赤色を指す。「呉(くれ)(中国呉(ご)の国)の藍」が語源とされている。一方、古書秘伝花鏡」に、「紅藍一名黄藍以其葉藍也=葉の形が藍の葉に似る」と出ていて、中国では紅花を紅藍とも書いたのだという。

 日本の紅花栽培は西日本各地で早くから普及した。山形での栽培は最も遅かったようだが、後進地山形の紅は品質が良いと評価されていた。

 そのため県内には、先人たちが残した「紅の証し」が多数存在するが、紅花そのものの遺物が発見されていたという話は聞かない。ほとんどが古文書や紅花染めの衣装、化粧紅、びょうぶ絵などで、歴史的には貴重な証しには相違ないが、紅花の古い種子や紅餅が発見されていないのが残念である。

 ところが1989年9月10日、奈良県下の藤ノ木古墳(6世紀後半)の石棺内に大量の紅花花粉を発見、と各新聞が報じた。「紅の証し」の発掘であった。その後、記事を読み返すうちに、内容の一部に疑念を抱くようになった。埋葬されていた2人の男性遺体の腹部中心に紅花の花粉が大量に検出されたため、遺体はミイラ化処理(内臓摘出)され、そこに防腐剤として紅(赤い塊)が入れられたらしいという記述部分にである。

 紅花の紅(カルサミン)は色褪せしやすい色素で、とても長年月、赤色を保つことは不可能と考えられる。古代の石棺は水銀朱で塗られていることが多いと聞くが、感動のあまり判定を誤ったのではなかろうか。

 古代エジプトではミイラ化した遺体の腹部に紅花帯を巻く習慣があった。この紅花帯はカイロ市内の国立農業博物館に展示されていて、かつてテレビ朝日の取材班が撮影し
ている。それは、畑から引き抜いた紅花株が根部を左石に数株ゆわえられ、腹部に巻くという簡単なものであった。

 もし、この紅花帯にならった埋葬が日本でもなされていたとすれば、遺体の腹部には多数の紅花花粉が残ると推理できるのではないだろうか。

 さて、もう一つの紅の証しは北海道での紅花種子の出土である。1984年、北海道大学埋蔵文化調査室発行の「北方圏」52巻に掲載されたカナダ・トロント大学のクロフォード教授寄稿「先史北海道のペニバナの発見」は、読後しばし茫然とするほどの内容だった。

 要点のみ略記すると、まず、クロフォード教授は、市立旭川郷土博物館所蔵のソバの炭化種子(豊富遺跡から出土)の中に、混入していた紅花の炭化種子を発見したという。その種子は推定で1,000年以上前のものであり、日本で発見された最初の埋蔵紅花種子であった。これは1976年のことだったとか。その後、84年に再度来日した同教授は、今度は札幌市の北大近くのマーケット(ペットコーナー)で、豊富遺跡から出土したのと同じ紅花種子(現在の栽培種より少し小型で生体)を発見、その写真を前掲の寄稿文に載せていた。

 以上の事柄はにわかには信じ難い気もするが、とにかく日本における紅の証しとしては、藤ノ木古墳出土の花粉とは比べものにならない貴重な物証といえるだろう。

 日本本土から紅花栽培が北上する前に、すでに北方ルートで運ばれた紅花が栽培されていたかもしれないとなると、紅花ロマンはさらに膨らみを見せることになるだろう。


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