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photographed.



目指すはジャパニーズリゾート

−あつみ温泉朝市広場−


 グローバルスタンダードという名のアメリカンスタンダードがあらゆる分野で一人歩きをし、日本的なもの、ローカルなものが何か色あせて見える昨今、かつてこんな体験をしたことを思い出す。

 私共萬国屋に地元メーカーの招待で米国テネシー州の州知事ご夫妻はじめ州政府要人を2度にわたってお迎えした。略式のティーセレモニーとご来館時のテネシーワルツ以外は特別扱い無しで、大浴場、畳に布団、浴衣で和食の宴会で2度とも大変喜んで頂いた。そして2度目の時、玄関先で開口一番、こんなお言葉を頂いた。「ジャパニーズリゾートを楽しみに参りました」と。

 かつての”庄内島”も平成3年10月の庄内空港開港により風穴が開いた。1日1便から始まった東京便は今3便、行政レベルでは1日4便の声も出始めている。さらに平成13年ごろには山形自動車道の供用開始により庄内圏は仙台から2時間強、山形からは1時間強でつながる。そして日本海沿岸東北自動車道も着々と射程圏内に入る。

 しかし、喜んでばかりはいられない。高速道は”現代の黒船”でもある。物流の9割、旅館の宿泊客の6割が高速道を経由する時代になった。インターチェンジをわざわざ降りるのは大変なこと。通過観光地にならぬよう、遠くに出やすくなった分だけ良い所をたくさん見た地元客から「やっぱりあつみ温泉」と言ってもらえる魅力の顔をいくつ作れるか、いよいよ宿屋づくりを踏まえた地域づくりが問われる。

大団体で旅行する時代から個人、小グループでする時代になっている。旅館だけでなく温泉地そのものが目的にされる時代。目指すは1周遅れのトップランナーである。
株式会社萬国屋 代表取締役。
1948年生まれ。早稲田大学法学部卒。第一生命保険から旅館経営研究所を経て1972年萬国屋入社。
1990年に社長就任。1987年よリ1期2年全国旅館組合連合会青年部長。現在温海町観光協会長。
萬国屋は、先代社長本間儀左衛門の時代に特に近代経営を志し、“社員の幸福無くして企業の繁栄はない”をモットーに、徹底した社員教育のもとに「サービスもまた観光資源なり」を実践。

本間 幸男
yukio homma
株式会社萬国屋
■1987年日本能率協会よリサービス優秀特別賞を受賞、1994年にはその社員教育をモデルに「100のもてなし」というマンガ本まで出版された。
近代和風館“楽山楽水”は5年目を迎える。
萬国屋HP
http://bankokuya.jp/
yukio
 homma
 自分たちに無い物を嘆くより、他に無い物、自分たちにしか無い物を誇りにする時である。規制大国日本の中の借り物競走は結局個性を無くする。魅力の顔づくり事業の第1段は湯治場時代から300年続いた朝市に決定した。さらに「欧米の街は教会を中心に拓かれ、日本の街は神社を向いて拓かれた」という梅原猛先生の教えをヒントに、朝市広場正面奥に東北最古の温泉神社の拝所を据え、さらにその一画に足だけ浸せる足湯をセットし、朝市の個店は門前市風に造作した。建物は建てたその瞬間から古くなる。このため古くなっても木造二階建て、三階建ての旅館街にしっくり溶けこむよう、和風黒瓦、白壁を基調にした。

旅館に泊まる客を中心にしながら、地域の人々も朝市の営業時間に散策を楽しめるよう工夫したつもりである。さらに、将来あつみ温泉に建設が予想される箱物のデザインモデルを意図してみた。東京発の発想で建物を造る時代は終わった。
 平成11年4月1日の朝市新装オープン以来、客足は順調に推移している。昨年12月からの工事と並行して広報宣伝を行った。1億円をかけて朝市を新しくしたところで、黙っていては客は来ないからである。

テレビ、新聞、また専門誌、業界紙まで含めたマスコミ対策は言うに及ばず、最小の費用で最大の効果を上げるべく、商工会、道の駅、金融機関の協力のもと、東北の南3県に新潟、秋田を加え、それぞれのメール便を利用、1,000枚を超えるポスターを配布した。

さらに、庄内地区、そして新発田までの新潟県北地区には朝市のおばちゃんたちが分担してキャラバンを組み直接各種団体、事業所にポスターを届けた。自らの汗を流さずして事業の成功はあり得ないと考えたのである。
 平成5年ごろから、高速交通時代に通過される温泉街になることへの懸念を含め、将来のあつみ温泉づくりの議論が始まった。旋館づくりは経営者個々の責任として永遠の課題である。そして、旅行が個人・小グループの時代は、温泉地・観光地そのものが目的になる。ソフトだけの地域づくりは、しょせん自己満足に過ぎない。音楽ホールの無い街で音楽祭、映画館の無い街で映画祭とマスコミが持ち上げる湯布院でも本音は欲しい。しかし、財政事情の厳しいこの時、観光目的の箱物など100年待っても出来ない。

 まずは民間が自前で資金を作り、その上で行政にも応分の負担を願おうとなった。資金づくりからこの事業は始まった。芸者、コンパニオンの花代収入をべ−スに、各旅館から一定割合を拠出してもらう基金制度を平成8年にスタートした。この拠出金をプールして大きな箱物事業に取り組むべく、税務署、法律事務所、会計事務所と相談の上、最終的に朝市改造事業の受け皿として温海温泉環境整備促進協議会という任意団体を節税を主目的に設立し、届出をした。この任意団体に関しては荘内銀行から適切なアドバイスや融資を受けた。当時の税務署長はじめ、たくさんの方々の知恵が結集され、この事業が今日を迎えている事にあらためて謝意を表したい。
 朝市改造事業の総費用金利も含めて約1億円のうち約7割が旅館側の負担、残りが町の補助金、そして地域の方々の神社へのご芳志である。厳しい時代だが“この不況期だからこそ皆で一緒に一生懸命やろう”と快く理解を得た。この朝市広場が地域の全員の総意と総力を結集して完成したことは、他に誇り得ることと思う。

 湯治場時代から約300年。昭和30年代の後半に朝市で魚や野菜を買い旅館に持ち込む習慣は全面的に廃れた。

しかし、旅館の泊まり客相手になお、あつみ温泉の朝市は残った。この土地の飾らない言葉でのやりとり、ユーモアを交えた売り手と買い手の掛け引き、心の交流は朝市の真骨頂である。だからこそ旅館とも共存してきた。

時代は変わり、地元の台所をのぞきたい客も確実に増えた。品揃えには工夫工面が必要だ。だが、かつての湯治場の習慣が廃れても、何故朝市はしたたかに残ったのか。そのことをしっかり心に刻みたい。
2003年春、朝市へのメインストリート橋月橋通りが全面リニューアル。道路の真ん中に解放感あふれる足湯ができました。超好評です。
 無いものを恥じるよりも、ここにしか無いものに誇りを持ち、あくまでもこの土地のにおいのする、この土地の人くさい観光地づくりをこれからも考えていきたい。ローカルこそグローバル、目指すはジャパニーズリゾートである。

【出典:「Future SIGHT5号」(1999年6月発行)】

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