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 県内には鹿子踊り、獅子舞が数多く残っている。長井市など西置賜地方は特に獅子舞が多い。その獅子舞の起源について「長井市史」には、古くから雪解けの春から稲の取り入れの終わる秋祭りまで、いろいろな神社や寺院の祭礼で獅子舞が奉納されてきたことが記されている。

 この獅子の起源に関係するものとして、唐代の詩人、白楽天の詩がある。「仮面に胡人獅子を仮る。木を刻して頭とし、糸にて尾を作る。金にて眼晴を鍍し、銀にて歯を帖す。奮起する毛衣、双耳をひらく。流沙に従い、万里より来るが如し。紫髯深目両胡の児…」。この詩は古来より獅子舞を記した最も古いものと言われている。紫の頬ヒゲをもち、目のふちの深く窪んだ故人(崑崙人) が、両眼に金箔をはり、上下の歯を銀でくるんだ木彫りの獅子面をかぶって踊っている。その動きは激しく、頭の毛が舞い上り両方の耳があらわになると述べている。

(株)長井観光はぎ苑代表取締役
長井市観光協会会長
齋藤 和夫

長井市観光協会会長
kazuo saitou
 
今、私たちが目にしている獅子の姿とよく似ている。だから、獅子舞は西アジアで始まり、中国に伝わったものであろう。日本には中国から唐代に伝わったものらしい。その頃の遺品は正倉院に残っている。それは天平勝宝4年(752)に東大寺の大仏開眼供養の時の儀楽田のものといわれている。御子頭は仏教とともにわが国に入り、今でも四天王寺の聖霊会で菩薩の舞や胡蝶の舞とともに獅子舞も行われている。

 伝承では「康平六年(1063)に源頼義が前九年の役の戦勝祝いに総宮神社(当時は白鳥大名神)の社殿を再建した時、軍士たちに獅子舞をさせたのが始まりである」という。長井市内の神社の獅子頭を調べてみると、最も古い年号の記入のあるものは総宮神社のもので「寛文11年(1671)9月19日改」と書かれてある。「改」とあるから、これ以前から獅子頭があったのであろう。こ長井市の中心街は以前から南北に宮地区と小出地区に分かれていたが、宮の神社に伝わる獅子舞の幕の裾は麻を使っていて、姿が水面に映ったようにできている。すきとおった麻布には波模様が染められ、前幕には水面を進む時にできる波頭を表す模様が、横幕には波としぶきを表した模様がついている。

 宮の獅子舞の起源は宮明神の縁起と深いかかわりをもっている。総宮神宮は山号を「赤崩山(あかくずれやま)」といい、火山活動をしていた頃の吾妻山の呼び名でもある。昔、日本武尊(やまとたける)が東征した時、米沢盆地の人々は最上川の水害に苦しんでいたので、武尊は最上川の水滴である赤崩山に剣を立てて祈り洪水を治めたという。それ以来、その御刀を神体として赤崩山神社が建立され、信仰の広まりとともに川西町小松に、そして長井市宮にも建てられた。

 太古の人々の信仰に山岳信仰がある。深い山中には神が住み、川の上流には竜神が住むと信じられていた。野川の上流の白鳥沼には竜神が住み、野川の水を支配していると孝えていた。長井の人々は野川上流の山間地の三渕(みふち)に神社を祀り、その里宮として白鳥神社を平野部に祀った。もう少し詳しくいえば、最上川の治水を祈って祀った開拓神赤崩山神社と、野川の治水を願って祀った三渕神社の里宮白鳥神社とが、最上川、野川の合流点である扇状地の突端に合祀されたのが赤崩山白鳥神社である。だから、里宮の大祭には奥の院の三渕から大神を迎えることになる。三渕の神は卯の花姫伝承では姫が三渕に身を投じ、大蛇となったという。この大蛇が白鳥神社の祭礼に招かれ、野川の流れを下る姿が宮の獅子舞であるといわれている。長井市の獅子舞は、他地域のものと異なり、目玉が丸く飛び出て、眉が目玉の後方に下って、前後に面長な獅子として彫られ、獅子頭といわず蛇頭(じゃがしら)と言っている。それに波頭を表わした大幕をつけ、その中に多くの舞い手が入る、大幕多人数入り獅子となっている。舞い方も蛇行し、頭は一定の高さに保って上下せず、腰に動きをつけて滑るように舞う。舞う姿は勇壮そのものであり、別名で「百足(むかで)獅子」とも呼ばれている。

 「ながい黒獅子まつり」はこのような地域文化の価値を再認識しょうと平成2年に始まった。13回目を数える今年は、市内に継承されてきた41(子供獅子を含む) の獅子舞の中から15が参加し、これまでで最高の参加数となった。毎年、5月の最終土曜日に実施している。今年は水神様のご意向なのか、開始時に強い雨が降ったもののやがて晴れ間が出来、市街地の目抜き通りの南北コースなど3ヶ所からそれぞれ同時に舞がスタートし、笛と太鼓の囃子に合わせ沿道を埋めた人々が見守る中で黒獅子が躍動した。
 長井市では黒獅子は五穀豊穣・交通安全・家内安全・身体堅固を祈願する伝統神事として長く受け継がれてきた。「ながい黒獅子まつり」としての始まりは、松ケ池公園(白つつじ公園)一角の皇大神社に求めることもできる。以前は、5月の「白つつじまつり」の終盤に、この神社の獅子舞が神社の前で舞われていた。長井市内には、40を超える神社があり、皇大神社の獅子舞同様、それぞれに特徴ある御子舞が受け継がれている。そこで、市内各神社の御子舞が一堂に会して特徴を披露し合えたら素晴らしいという長井市観光協会の前会長である竹田昭三氏の発想からまつりが始まったのである。回を重ねるごとに舞いを待ってくれる方々が増えている。

 長井市には「あやめまつり」や「白つつじまつり」などもあるが、今後は「黒獅子まつり」を最大のまつりとすることに情熱を注ぎたい。観光資源として大きな可能性を秘めていると思うからだ。特にこれまでは夜まつりとして開催してきたが、日中から実施し遠来の人々にもご観覧いただけるようにすることを検討したい。学校も完全週休制にもなったことであるし、会社、事業所、役所等にも協力をいただきながら2日間のまつりに出来ないものかとも考えている。故郷を離れた方々にも懐かしいまつりの思い出をよみがえらせる機会を提供したいものである。心強いのは獅子を愛する多くの市民がいることである。

 遠くから笛の音色と太鼓の響きが聞こえてくれば自ずと心が踊る。それが、この地で育った人々にとっての祭りであり、その火を消すことは出来ない。世相や風俗がどう変化しようとも、古くから伝わるこのまつりを守り続けたい。また、郷土意識や隣人意識が希薄な時代になっている。そんな時代だからこそ、篝火(かがりび)を焚いてお神酒で獅子を迎え、人々の幸せと社会の安穏を願う機会を大切にしたい。人々の心を一つにする「黒獅子まつり」を継承していくことが、今を生きる私たちに与えられた役割であろうと思っている。

【出典:「Future SIGHT17号」(2002年夏 発行)】

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